子どもを親が守らずして誰が守る


平成26年6月2日の中日新聞の朝刊のコラム中日新聞:中日春秋:コラム(CHUNICHI Web)を読んで、改めて「子どもを親が守らずして誰が守るんだ!」という想いを強く持ちました。


コラムは先日の神奈川県厚木市の5歳の男の子がネグレクトによって死亡した事件を内容としたものですが、同じ年の子どもを持つ親として大変印象深い内容だったので、全文を引用します。


 「衰弱死」とは恐ろしい言葉だが、それでさえ持って回った言い方でそれはやはり「餓死」なのだ。神奈川県厚木市のアパートで五歳の男の子の遺体が発見された。父親に放置された。食事も与えられなかった。部屋に閉じ込められていた
▼想像する。そのひもじさ、のどの渇き。戦争中でも、飢饉(ききん)でもない。豊かで安全と胸を張る日本で子どもがおなかを空(す)かせて死んでいく
▼父親は供述する。「二〇〇六年秋ごろに家に戻ると子どもが死んでいた」。いつ息絶えたのかも分からない。独りぼっち。散乱し恐らくは真っ暗だった部屋の中で五歳の子が呼吸をやめる
▼孤独は骸(むくろ)になっても続く。発見されるまで七年半。この子の声は生きている時も、生きていない時も、誰にも届かない
▼親や行政の不手際を責めるのはたやすいが、五歳の子ども一人さえ救えぬ世の中をつくり、看過してきたのが日本人であるならば、この子の死に日本人全員が痛みを覚え、腕組みをして「この国はおかしい」と考えるべきではないのか
▼「いるはずなのに、いない子ども」がまだ七百余人いる。捜さねばならない。「たがいの命を大事にしない思想など、思想と呼ぶには価(あた)いしません」(井上ひさしさん作『組曲虐殺』)。「思想」を「国」に置き換え考える。見つけなければならぬ七百余人はわれわれ自身である。日本という国そのものである。



5歳の子どもの状況を想像するだけで涙が出てきます。そして、改めて強く思います。子どもを守るのは親だ、と。
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