『生きるヒント』の珠玉の言葉たち



大学生の頃、生きる、ということを学び、考えさせられた。自分の精神の基盤となった本。
最近、再読して、今、改めて印象に残った言葉を抜き出してみました。
どれも含蓄のある言葉で、この先、一生心に刻み込んでおきたい言葉たちです。


以下、引用。

○私たちは、よろこびをもって生きたい。それを待っているだけではなく、自分からさがし出すことに慣れなければならない。どんなにつまらないことであってもいい、それをきょう1日の収穫として大事にしたい。「よろこび上手」こそ苦しい世に生きていゆく知恵なのだ、とぼくは自分の体験から思うのです。

○論理では割り切れない矛盾をかかえて生きることが、ぼくは道教的な生き方ではないかと思うのです。

○「見テ 知リソ 知リテ ナ見ソ」見てから知るべきである、知ったのちに見ようとしないほうがいい。(略)ものごとを判断したり、それを味わったりするときは、その予備知識や固定観念がかえって邪魔になることがある。だから、まず見ること、それに触れること、体験すること、そしてそこから得る直感を大事にすること、それが大切なのだ、と言っているのではないでしょうか。

○この世界が永久につづくと考えたとき、人間というものは毎日毎日の体験に感激を持てなくなります。それから、自分たちが何でもできるんだ、自分たちの力で人生をつくっていけるんだというふうに考えたとき、人間というものは非常に傲慢になってきます。人間は生まれる場所を選択できない。行く先も選択できない。その期間も選択できない。そう考えたときに人間は、与えられた人生というものの中でどう自分の一生を生きていこうかということを非常に謙虚に考えるようになるはずなのです。無力感よりはむしろその中でどう生きていこうかということを真剣に考えるようになるはずです。そして有限の人生であるということを感じたときに、この1年間、本当に大事に過ごさなければいけないと考えると思います。

○一生懸命にがんばっても改めることのできない欠点には、必ず深いところにその人だけの何かの理由があるのではないかと思うのです。人間的な長所とは、反対側の欠点によって支えられているとも考えられます。

○損をしてもいいではありませんか。損をすることをおそれ、損をするために心をくだくことだけが、良き人生だとは考えられません。病気がちだからこそ理解できることもあるのです。人に嫌われる人間だけに感じられる真実もあるのです。努力しても直らない欠点は、たぶんその人の最良の部分に根ざしているのではないかとぼくは思います。

○すべてを何かの手にませる。そして、そのまかせるという決心すら、自分がしたのではない。目に見えない大きな光が人間をあたたかく照らして、すべてをその手にゆだねよう、という気持ちに向うからさせてくれるのだ、という。「他力」を信じる、ということすら自分のさかしげな働きではない。それも「他力」にみちびかれてのことだ、と。

○「愛する」ことは自分の勝手から出たことだと、くり返し自分に言い聞かせていれば、ひょっとしてそれがむくわれなかった時にも、腹を立てずにすむかもしれません。(略)「親孝行」の例でいうなら、たとえ一瞬でも愛することのよろこびを感じることができたならば、それ以上のお返しを求めない方がいいように思います。(略)いずれにせよ、「愛する」ことは自分の勝手、と、心に言いきかせておく謙虚さが大事な気がするのですが、どうでしょうか。

○日々を楽しく生きる達人

○一ずつの行為を十分にあじわいながら、その一瞬を大切に過ごすこと。それがいま、特に大切に思われてならないことなのです。(略)水だって味がある。まして、番茶だろうが、コーヒーだろうが、人間が工夫した飲みものにそれぞれの味わいがないわけはありません。風景だってそうです。目に見えるものは、どれも実におもしろい形をしています。

○人に何かをあげたり尽くしたりするのは、自分のためなのだ。

○ぼくは最近、食べる回数を減らしているのですが、それは単に健康のためとかではなくて、ちょっと気障にきこえますけれどそのつど感謝しつつ食べることに心を向けようと考えているからです。そして、食べることによって自分たちは「業」というものを重ねているのだという気持ちも、どこかに持っていなければいけないんじゃないかと思うようになりました。

○禅の言葉で病気のことを「不安」と表現したはずです。これは体のコンディションの調和がとれていない、または安定していないという意味なんでしょうね。そういうバランスの崩れから、人間がそもそも体内に抱いてきた四百四病のさまざまのものが体に発現すると考える。ぼくはなんとなくそんな仏教的な考えかたに親しみを感じています。

○「人生ってのは、ほんとうにひどいもんだ。でも、だからといって自分でそれをなげすてるほどひどくはない。」(ゴーリキー)
人生は絵に描いたようなハッピーなもんじゃないなんとも言えず無残でひどいところもある。だがしかし、そうだからといって悪いことばかりでもないんだよ。自分で死を選んだりするほどひどいもんじゃない。まあ、捨てたものでもないさ。とりあえず生きてたほうがいいんじゃないのかね。

○まず最初に、あーあ、と大きなため息をつき、「寝るより楽はなかりけり。浮き世の馬鹿がおきて働く」

○それは大きな偉大なもの、立派なものであると同時に、私たちが日常でどうでもいいことのように思っている小さなこと、たとえば自然に感動するとか夕日の美しさにみとれるとか、あの歌はなつかしいなといってそのメロディーを口ずさむとか、私たちが日常、趣味としてやっているようなこと、あるいは生活のアクセサリーのようなことが、じつは人間を強く支えてくれる。そういうこともありうるんだな、と思わせられるところがあるからです。

○私たちは、「生きている」というだけでも価値のある存在である、と思いたい。生きているということは尊いことであり、そして自然と調和する得がたいことであり、たくさんのものに支えられて奇跡的に生きていることでもある。こういうふうに考えて、自分の生きるということをあんまり堅苦しく、こうでなければいけない、ああでなければいけない、というふうに考えないようにしよう。ぼくは最近そんなふうに思っているのです。
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