「何もしない時間」ではなく「何もしない」をする時間

家でぼーっとするのが苦手です。何かしていないと、時間がもったいなく感じるのです。

先日、4歳の息子の咳がひどく、風邪をひきそうでしたので、二人で半身浴をしました。4時間です。それを土曜と日曜の2日間。
息子は、ずっとiPadで「カーズ」を見ていました。
私は、いつもなら、一緒に見たり、読書をしたり、スマホをみたり、するのですが、何もしないことにしました。最近、疲れを感じていたのです。体、とくに肩が重いのです。

だから、4時間、2日間とも何もせずに、風呂の中でボーとしていました。最初は、息子がみるカーズの音が気になりましたが、だんだん気にならなくなってきました。

おかげで疲れはかなりとれました。月曜日からの仕事に向け、よい充電となったのです。
そのとき、はたと思いました。休みの日は、休むためにある日だと。心と身体をしっかりと休めるのが、休みの日にしなければいけない、やるべきことだと。

何もしない時間は、「何もしない時間」と考えるのではなく、「何もしないで心身を休めている時間」ととらえる。

要するに「何もしない時間」ではなくて「何もしない時間をする時間」と考える。そう考えると、何もしていない時間に意味を見出すことができます。きっと無駄なことをしている時間なんてない。その時間は何かしらの意味があるはず。そう考えるのです。

「何もしない時間」をもっと大切に扱うべきなのかもしれません。「何もしない」というタスクが、タスクリストに入っていてもいいくらいです。

「何もしない時間」をタスクリストの中に入れてみませんか。
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