【書評】無力(MURIKI)

これまで五木寛之氏のエッセイは、絶版を除いて全て読んできた。

そして、今回の新刊『無力(MURIKI)』。

『生きるヒント』シリーズ以降のエッセイは、すべて根底に「他力」の考え方があったと思う。他力という難しい思想をわかりやすい言葉で、さまざまな角度から、また、さまざまな生活のシチュエーションから、説いていたのだ。

しかし、今回の『無力』は違う。
他力の思想は根底にありながらも、別の高次元なステージに向かった、という印象を受けた。親鸞の他力思想をもとにした、五木寛之氏の独自の思想の展開である。それが他力でもなく、自力でもない「無力」なのだ。

では、「無力」とは何か。
無力(むりょく)とは、ただ、力がないことだが、無力は、「むりょく」ではなく「むりき」と読む。

無力(むりき)とは、自力でも他力でもないその中で揺れ動くものである、という。揺れ動く動的な生き方を肯定するものである。どちらか片方の力に引っ張られることのない、とらわれない生き方をいうのだ。

本書では、2つ中心のある楕円、を使って無力を説明している。2つ中心のある楕円のように、そのときそのときによって力点が移動するイメージだ。楕円の2つの中心の間を絶えず揺れ動いている状態である。
いわば、黒でも白でもないグレーゾーンだ。

私流の解釈では、「どっちでもなくどっちでもある」という側面と、「ちょうどよい加減」という2つの側面を持った考え方が「無力」と言える。

それは、本書でもふれられているが、孔子が最高の徳とした「中庸」の考え方である。

では、この「無力」を具体的な生活レベルでどう考えるか。本書では次の内容が印象的だった。

世の中は「複雑系」である。その世の中を生きていく上で、そのときそのときの判断ですぐに黒白を簡単に片方に決めてしまわないことが大切であるという。

「ぶれる」、というのは批判的に言われるが、ぶれるのは人間のあり方として自然なこと、とブレを肯定的にとらえる。

また、情報過多のこの時代、例えば、がんの早期発見、早期治療は従来から当たり前のようによいものとしてとらえてきたが、よくないという意見も出てきている。放射能は微量でも人体に影響がある説とない説もある。
さまざまなことに対して専門家であっても意見が180度異なる内容が多くなってきているのだ。

そこは、異なる両論を否定するのではなく、あくまで、自分の実感ベースで選びながら生きていく、というのが本書の言うところであり、「無力」的な生き方なのである。




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