「キッチリ」と「おおらか」のバランスは、「論語」と「老荘思想」のスイングから生まれる

自分で言うのも何なんですが、けっこうキッチリした性格だと思います。ただ、キッチリというのはいいことばかりではありません。

キッチリしすぎて疲れてしまったり、何でも白黒つけないと気が済まなかったり、突き詰めて考えすぎて精魂果てたり、少しでもミスがあるとひどく落ち込んだり、といろいろあります。

こんな性格なので、大学生の頃から、キッチリとは正反対の大らかにあるがままに生きることの素晴らしさを説いた「老荘思想」にはまっています。老荘思想とは、中国古典の「老子」と「荘子」のことです。キッチリしすぎる性格なので、老荘思想の大らかにあるがままに生きる素晴らしさに触れたくなるのです。無意識に精神のバランスをとっているのかもしれません。

ただ、老荘思想に入れ込みすぎると、今度は「論語」に意識が向いてきます。論語は、いわば、キッチリ生きることを説いた思想です。無意識のうちに、老荘思想に傾きすぎると、バランスをとろうと、この2つをスイングしているのかもしれません。不思議なものです。

自分の生き方の軸を保つには、老荘思想と論語をそのときの自分の精神状態に応じたバランスで取り入れるのが、自分には合っているようです。ただ、もともとキッチリした性格なので、老荘思想を少し多目に取り入れます。

それだけではありません。
10年以上前から「生きるヒント」や「大河の一滴」などの著者である五木寛之さんに傾倒しています。五木さんの考え方は、仏教、とくに法然、親鸞、蓮如の思想が元になっているのですが、五木さんの著書を読むと、今の自分でいいんだ、という自己肯定感が高まります。

ただ、五木さんの本ばかり読んでいると、ふと、明治大学教授の齋藤孝さんの著書を読みたくなります。齋藤孝さんの著書、とくにビジネス書は、切れ味のよい言葉が心地よく、もっとがんばらなければという気にさせてくれます。

私の中で、五木寛之さんと齋藤孝さんの著書は、先に書いた老荘思想と論語の関係に似ているのです。

ただ、最近は、「暮らしの便利帖」の編集長の松浦弥太郎さんの著書を精力的に読み始めています。自分の中では、五木さんと齋藤さんの間くらいの感覚で、このお三方の著書を、そのときどきの自分の精神状態に応じて読むのが精神のバランスを保のにいいのです。
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