【読書メモ】自力と他力(五木寛之)



〇著者の考える他力とは、「阿弥陀仏の本願力にたよって成仏を願う」という仏教用語の他力本願だけではなく、一般的に使われているあなたまかせという意味でもなく、自力と対抗する思想でもない。おのれのはからいを超えた大きな流れをいう。

〇物事は二つ要素の対立と調和である。昼があり夜がある。笑いがあり涙がある。その両方を振り子のように揺れ動きながら世界は成り立ち、動いている。できることとできないこと、変えられることと変えられないことがある。変えられないことは諦める。

〇「そうせずにはいられない、というところへ人はおのずと引き寄せられるのだ」

〇「暗愁とは、こころのなかに横たわっているなんとも言えない根源的な愁い、いきていることの実存的な愁いを表現する言葉です。人生ははなかく、思うにまかせぬものであると感じるとき、私たちのこころのなかにはえもいわれぬ不思議な感覚が湧いてくる。それが暗愁の原因であり、正体です。(略)人は誰しも、夫にも妻にも友人にも語ることのできないことを、ひとり一人抱えて生きていること私は思います。うらやましほど幸福に見える人でも、誰しも見えないところで人生の辛酸を抱えながら生きているものなのです。」

〇「ストレスの多い毎日で気分がすぐれない。このように、こころ萎える気持ちを感じることは、ごく自然なことなのです。」

〇自分とは「自然の中の一部分」である。

〇持っている以上の知恵や能力が発揮できたとき、見えない力が後押ししてくれたような感覚、それが他力の力である。

〇「本当のところ、私にとっては速読も遅読も、どちらでもいいことなのです。年をとればいやでも遅くなってくるということもあるでしょう。本の読みかたは、最終的には自らの選択ではない。読む側の姿勢でもない。「わがはからいにあらず」して、人が本に読まれるというのが真実ではないでしょうか。」

〇私たちの考え方は2つのことで変わる。一つは「感じること」。一つは「知ること」。感じることだけにこだわるのは間違いのもとだし、知ることだけにとどまっていては正しい考え方はつかめない。その対立する2つの世界の間を絶えず往復しながら考え方の中心線をつくっていく。いつも動いていること、それが大事なのだ。

〇「天命に身をゆだねるというのは、一見、安易な運命主義のように見えるかもしれませんが、そうではありません。めぐりめぐった末に、ようやく自分が載せられている大きな掌に気づいた、ということではないでしょうか。」
関連記事
スポンサーサイト
このエントリーをはてなブックマークに追加

にほんブログ村 子育てブログ パパの育児へ
にほんブログ村


子育てパパ ブログランキングへ

コメント

非公開コメント